「朝鮮通信使」の足跡を辿る旅の記録

2017.06.11 09:10:11

 

「朝鮮通信使」の足跡を辿る旅

「韓国訪問記」

今年度の韓国訪問は、岸和田市にもゆかりの朝鮮通信使が辿った、ソウルから釜山まで、観光では訪問することの少ない訪問地を巡りました。会員14名の参加による韓国訪問記です。

 ○朝鮮通信使の足跡を辿る  朝鮮通信使は、ソウル(当時は漢陽)を出発し、釜山までの陸路を2ヶ月かけて徐々に隊列を整えながら進みました。ソウルから釜山までの主な経路は、次のようでした。

漢陽-◇陽才-◇龍仁-◇竹山-◇龍安-◇忠州-◇安保-◇聞慶関門-◇幽谷-◇安東-◇醴泉-◇義城-◇新寧-◇永川-◇慶州-◇蔚山-◇東來-◇釜山 ◎今回は青色文字の4箇所を中心に巡りました。

日程:2016年11月17日(木)~19日(土) 

11月17日(木)

関西国際空港に集合し、大韓航空KE722にて仁川国際空港に到着。バスにてソウルに移動。昼食後、岸和田市の姉妹都市である永登浦区の区庁舎を訪問。趙吉衡(チョ キル ヒョン)区庁長は他の公務で不在のため、副区庁長にお出迎えいただき庁舎前で写真を撮影。

続いて永登浦区区議会に移動してイ・ヨンジュ議長を表敬訪問させていただき、議場などを案内いただきました。

表敬訪問を終えて宿泊地の聞慶に向けて出発、ホテル到着の頃にはすっかり暗くなっていました。聞慶観光ホテルに宿泊

11月18日(金) 

ホテルのすぐ前が聞慶セジェ道立公園の入り口。

公園に入ってすぐの位置にある聞慶セジェ博物館(古道の博物館)を見学。

釜山とソウルを結ぶ主要な街道の要衝を多くの旅人が行き交いました。その様子や文物を紹介する展示を興味深く見学しました。特に公務員への登用試験(科挙)を受けるためにここをソウルに向かった様子が多く展示されていました。壬辰倭乱の際には秀吉軍もここを越えたそうです。

街道には関門が三箇所築かれていますが、以前は一箇所で、秀吉軍を防げなかったため防御力増強のため三箇所にしてより強固な造りに変えたそうです。

博物館前からカートに乗って第一関門を通過して韓流ドラマの映画撮影用のオープンセットを見学。往時の街並みを忠実に再現した街並みが続きます。村や町、王城まで忠実に再現されていました。

次の訪問地、蔚山(ウルサン) に向けて移動。渋滞もあって予定時間を大きく過ぎてしまいましたが、最初の朝鮮通信使として有名な李藝(イ・イェ)ゆかりの「石渓書院」を見学し、「李藝」に関する展示がある「龍淵書院」を見学しました。遅くなったのに李藝の子孫の方々が待っていてくださって、このようにして来られた日本人は初めてだと歓待いただきました。

ロッテシティーホテルウルサンに宿泊

11月19日(土)  

朝食後、釜山に移動して「朝鮮通信使歴史館」を見学。朝鮮通信使に特化した資料館で、3D映像を鑑賞するなど子ども達にもわかりやすい展示構成になっています。1711年の使節が当時江戸まで往復する様子を描いたものや、ソウルから江戸までの地図を描いた大型模型や、通信使の船の縮小模型や馬上才(曲芸)の様子などが飾られており、江戸時代の日朝交流の様子をしっかり伝える陳列となっています。

2階の屋外には「永嘉台」(ヨンガデ)が復元されています。ここは朝鮮通信使が日本に向かう時、航海の安全のために海神祭を執り行う場所として利用されていたが、その景色に趣きがあり、あまりに美しいため官吏たちがここで風流を楽しんだそうです。

新世界百貨店やセンタムシティー(免税店)でショッピングを楽しんだ後に空港に向かい17:10 大韓航空KE759にて関西国際空港へ。空港で通関後解散しました。

観光で訪れることの少ない場所で新しい発見や多くの歴史に触れることのできた有意義な訪問であったと思います。

また、観光旅行では出てこないような珍しい郷土料理の数々に参加者みんなが興味津々。珍しくて美味しい料理の連続でお腹も満足の旅でした。